東京・吉祥寺の老舗ジャズ喫茶「メグ」が今月末で四十八年の歴史に幕を下ろす。著名なジャズ評論家でマイナーレーベル「寺島レコード」のプロデューサーとしても活躍する名物店主の寺島靖国さん(80)が喫茶店の経営から手を引くためだ。「若い頃からあこがれだったジャズ喫茶のおやじになることができた。幸せだった」。店はなじみ客に引き継がれ、ロックも流す店に改装されるが、古き良きジャズの名店がまた一つ消える。 (池田知之)
JR吉祥寺駅近くの雑居ビル二階(東京都武蔵野市吉祥寺本町一)にあるメグは、一九七〇(昭和四十五)年一月、寺島さんが三十一歳の時に開いた。壁際の大型スピーカーに向き合う形で、二十五の客席すべてを並べたのは「スピーカーが先生のようなもの」(寺島さん)だから。音に集中してもらうため、お客さんも「おしゃべり禁止」だった。
高校生のころからジャズに熱中した寺島さんは、大学卒業後に会社勤めを経て実家の割烹(かっぽう)料理店で跡取り修業をしていたが、店が火災で失われたことが人生の転機に。父親が焼け跡に建てたビルの一室を借り受け、メグを開店。高価で入手が難しかったレコードも少しずつ増やしていった。「当時は商売と言うより、文化を提供している思いがあった」と振り返る。
開店当時から通う東京女子大非常勤講師で宗教学者の島田裕巳さん(64)は「ジャズは若者の教養の一つだった。自分は生意気な高校生で貧しかったのでコーヒー一杯で三時間近く粘ってジャズを聴いた」と振り返る。
ジャズ愛好家の間で有名店となったメグだが、八〇年代に入ると、音楽の多様化で若者のジャズ離れも顕著に。九〇年代に入ると、輸入盤も増え、CDの価格が下がり、わざわざジャズを聴きに店まで赴く必要性も薄れていった。
二〇〇五年には一般客も入りやすいよう店でのおしゃべりを解禁。ジャズミュージシャンのライブに店を開放した。それでも経営は好転せず、寺島さんは今月八十歳を迎えたのを機に店を手放すことを決めた。
「本来、ジャズ喫茶は店のおやじが選曲や接客など采配を振るうべきだ」が持論の寺島さん。評論やプロデューサー、ラジオのジャズ番組の仕事も忙しく、掛け持ちで店に立つのは体力的に厳しくなったという。
店は、メグの常連客であるマーケティング会社社長の柳本信一さん(59)に引き継がれる。四月一日に開業予定の新店舗名は「音吉!MEG」。幅広い音楽を聴かせる店を模索しており「新しくていいものを探していく。寺島イズムは引き継ぎます」と話す。
メグへの問い合わせは=電0422(21)1421=へ。二月中は無休。新店舗は四月以降に同じ電話番号へ。
meg東京新聞20180222